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姫路レザーの源流、皮革の町「高木」|白鞣しと「皮革の神様」が伝える千年の歴史

皮革の神様。伝説の聖翁

姫路レザーとは、特定の企業が持つブランドではなく、播磨地方の兵庫県姫路市とその周辺地域で生産される革の総称です。

国内で生産される革の多くがこの地域でつくられており、日本を代表する皮革産地として知られています。

その姫路レザーの源流となる皮革の町、姫路市花田町高木。

市川のほとりに広がるこの地区は、古くから「皮革発祥の地」と呼ばれてきました。

moeのバッグに使う姫路レザーも、この土地で受け継がれてきた技術の延長線上にあります。

今回のコラムでは、高木という場所がなぜ皮革の町になったのか、そしてどのような歴史を歩んできたのかをご紹介します。

皮革の起源 | 高木の革づくりはいつから始まったのか

姫路を中心とする播磨地方の鞣し(なめし)の起源は、はっきりとはわかっていません。

ただ、その手がかりとなる記録は、かなり古い時代にまでさかのぼります。

奈良時代に起源?『播磨国風土記』にある「白い物」

奈良時代初期に編まれた『播磨国風土記』には、現在の高木周辺とみられる場所に「白い物」が見えたという記述があります。

これを鞣した皮を日に晒している様子とみる説があり、高木の革づくりの古さを伝える一節として語られてきました。

ただし、当時はまだ高木という地名もなく、場所や解釈には異論もあるため、確かなことは言えません。

平安時代、播磨は「革の国」として記録される

播磨の名が皮革の生産地として史料にはっきり登場するのは、平安時代の延長5年(927年)に完成した『延喜式』です。

延喜式は当時の律令の施行細則をまとめた法典で、各国が朝廷に納める品々が記されています。

播磨は、馬革の納入数が諸国の中で最も多く、あわせて鹿革も納めていました。

牛革ではなく、馬や鹿の革が中心だった時代。

それでも播磨はすでに、都に革を届ける重要な産地のひとつでした。

皮革に適した播磨、そして高木

革づくりには、水、塩、日光、そして原料となる皮が欠かせません。

播磨の高木は、そのすべてが入手しやすい環境にありました。

皮革に必要な水の量と質。市川と広い河原

生野銀山のあたりを源に、播磨へと流れ下る川、市川。

高木のそばを流れるこの川は、水質が鞣しに適していたといわれています。

白鞣しには「川漬け」と呼ばれる工程があり、皮を数日間川の流れに浸しておきます。

さらに、漬けた皮を干すための広い河原も必要でした。

市川は、水と作業場の両方を与えてくれる川だったのです。

天日干しに適した晴れの多い瀬戸内の気候

播磨は瀬戸内海式気候に属し、温暖で雨が少なく、晴れの日が多い土地です。

革を天日で干す工程が多い白鞣しにとって、この気候は大きな利点でした。

入手しやすい原料の皮と保存に必要な塩

原料となる皮の保存に必要なのが塩です。

播磨灘に面した姫路周辺は、皮の保存や鞣しに欠かせない塩を手に入れやすい環境にありました。

また西日本では多くの牛が飼われており、のちに牛革が主流になると、原料となる牛皮を集めやすいことも強みになります。

都に近い「豊穣の国」播磨

播磨は農業も盛んな「豊穣の国」であり、政治の中心だった京都や奈良にも近い位置にありました。

つくった革を届ける先が近く、交易がしやすかったことも、産地として発展した理由のひとつです。

水、気候、塩、原料、そして市場。

高木は、偶然ではなく必然として皮革の町になった場所といえます。

皮革の神様を祀る高乃木神社

日本で唯一、皮の神様をお祀りする高乃木神社

高木の革づくりの起源については、二つの伝説が伝わっています。

どちらの説も史実として確かめることはできません。

ただ、いずれも「外から来た知恵が、市川の水と出会って根づいた」という点で共通しています。

そして高木には、皮革の神様をお祀りする高乃木神社があります。

鞣しを伝えた伝説の「聖翁」

高木には、革づくりの始まりを伝える伝説が残っています。

その昔、高木の古い呼び名である「松ケ瀬」に、椋(むく)の巨木の下で暮らす博識な老人がいました。

村人たちはこの老人から製革の技術を学び、革づくりを始めたといいます。

人々は老人を「聖翁(ひじりおう)」と尊び、その没後、椋の木の下に小さな祠を建ててお祀りしました。

この祠が聖神社の起こりとされています。

神功皇后説 | もうひとつの起源説

起源については、別の言い伝えもあります。

神功皇后の三韓征伐の折、捕虜の中に皮を鞣す技術に長けた者がいました。

その人物はまず但馬の円山川で革づくりを試みましたが、うまくいきません。

南に下って市川で試したところ成功し、その技術を村人に伝えたというものです。

高木三社と高乃木神社

高木の村名は、安土桃山時代から江戸時代初めの慶長年間には記録に見られるようになります。

この地区には、古くから三つの神社がありました。

1964年、この「高木三社」が統合されて生まれたのが、現在の高乃木神社です。

皮革の神様をお祀りする高乃木神社には現在でもタンナー(革を鞣す業者)や、アパレル・ファッションに携わる人々が参拝に訪れています。

革に関わる仕事をする人にとって、高木は特別な場所であり続けています。

姫路レザーのはじまり「白鞣し」と、その移り変わり

白鞣し | 水と塩と太陽でつくる、乳白色の革

鞣した革を塩となたね油を加えて揉みほぐす足揉み(油揉み)

高木で受け継がれてきた代表的な技法が「白鞣し(しろなめし)」です。

原料の皮を川の水に漬け、毛根に発生するバクテリアの酵素の力で毛を抜きます。

そのあと塩と菜種油を使って揉み上げ、天日に晒して仕上げると、薄い乳白色の革になります。

薬品をほとんど使わず、水と塩と油、そして太陽の力で皮を革に変える製法。

この技法は、江戸時代中期にはほぼ完成していたと考えられています。

工程の詳細は、姫路革の伝統「白鞣し」でご紹介しています。

秀吉に見出され、姫路藩を支える産業へ

高木の革が全国に知られるきっかけをつくったのは、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)だといわれています。

天正8年(1580年)、中国攻めの拠点として姫路に入った秀吉は、河原に干された白い革に目を留めます。

その丈夫さと美しさに感心した秀吉は、翌年、主君の織田信長にこの革を献上しました。

これを機に、高木の革は武具や馬具を中心に需要を広げていきます。

江戸時代には姫路藩の財政を支える貴重な産業となり、「姫路革」の名は品質の高さとともに全国に広まりました。

秀吉と高木の革のエピソードは、姫路の革の歴史でも詳しくご紹介しています。

白鞣しの弱点。時代に合わせて変わってきた鞣し

丈夫で美しい白鞣しにも、弱点がありました。

川漬けや天日干し、揉みの工程に長い時間がかかり、大量生産ができないことです。

明治時代に入ると、軍需や暮らしの変化によって革の需要は大きく伸び、より多くの革を短い時間でつくる必要が生まれます。

そこで取り入れられたのが、欧米の鞣し技術です。

植物の渋(タンニン)を使うタンニン鞣し、クロムなどの鉱物を使うクロム鞣しが広まり、現在の姫路レザーの主流になりました。

戦後は靴や鞄、ベルトなど、暮らしに寄り添う革製品へと用途が広がっていきます。

製法は変わっても、市川の水、晴れの多い気候、そして高木で磨かれてきた職人の技は、いまの姫路レザーにも受け継がれています。

高木の歴史を、バッグに託して

moeは、姫路レザーでバッグをつくるブランドです。

革は姫路のタンナーから直接仕入れ、オリジナルの仕様で鞣してもらった素材を使っています。

千年以上前の記録に名を残し、伝説と神社に守られ、秀吉に見出され、時代とともに製法を変えながら続いてきた皮革の町。

moeのバッグに使う一枚の革にも、そうした高木の歴史が流れています。

手に取ったバッグの向こうに、市川の流れと河原に並ぶ革の風景を思い浮かべていただけたら嬉しく思います。

moeの姫路レザーのバッグは、オンラインストアでご覧いただけます。

よくある質問

姫路レザーの発祥の地はどこですか?

兵庫県姫路市花田町高木(たかぎ)地区です。

市川のほとりに位置し、古くから「皮革発祥の地」と呼ばれてきました。

平安時代の『延喜式』には、播磨が馬革などの主要な産地として記録されています。

白鞣しとはどのような革ですか?

姫路・高木で受け継がれてきた伝統的な鞣し技法です。

皮を川の水に漬けて毛を抜き、塩と菜種油で揉み上げ、天日に晒して薄い乳白色に仕上げます。

江戸時代中期には技法が完成していたと考えられています。

高乃木神社にはどのような神様が祀られていますか?

高木に製革の技術を伝えたとされる「聖翁(ひじりおう)」を、皮革の神様としてお祀りしています。

あわせて須佐之男命と菅原道真も祀られています。

今の姫路レザーも白鞣しでつくられていますか?

現在の姫路レザーの主流は、タンニン鞣しやクロム鞣しです。

白鞣しは時間がかかり大量生産に向かないため、明治時代以降に欧米の技術が取り入れられました。

参考資料

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