姫路の革の歴史

皮革発祥の地、高木

姫路の皮革は白鞣し(なめし)と言われる生産手法で姫路鞣(ひめじたん)とも言われており、その品質の高さを誇示していました。

その中で高木は皮革発祥の地と言われています。

起源については諸説あり、朝鮮半島より伝わりしもので神功皇后三韓征伐の際に捕虜となった者の中に皮革工がおり、その者が但馬の円山川で試みたが水質が適さず、播磨の市川で成功しそれを地元の住民に伝えたという説があります。

日本で唯一、皮の神様をお祀りする高乃木神社
日本で唯一、皮の神様をお祀りする高乃木神社

また”松が瀬の聖”と言われる一人の老人が今の高木の地に留まり、皮革の技術を村人達に伝えたという伝説も残っており、高乃木神社には”松が瀬の聖”を聖翁と尊称し合祀されています。

高乃木神社本殿

高木乃木神社は聖の神と言われる皮の神様の他に菅原道真公、須佐ノ男神(すさのおのかみ)が祀られる珍しい神社でもあります。

秀吉と革

播州なめし革が有名になり隆盛を極めたのは戦国時代にさかのぼります。

天正八年、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が中国征伐で姫路に滞在、領内を視察中に河原に干してある皮に目がとまり帰途高木に立ち寄りました。

そのとき、ある農家から敷物として献上されたのが白鞣し革でありました。

秀吉はその革の手触りが気にいり早速武具の修理に試用したところ、その耐久力と美しさは他に比類なく、かかる特産物が自分の領内で産出するのに目をつけ日本全国に販路を広げようと姫路城改築落成祝いをかねて翌年の天正九年に主君織田信長に献上しました。

これをきっかけに武具、馬具を中心に革の需要は伸び全国各地から商人、職人が集まってきました。

また各地方でも革の生産が行われましたがやはり高木の革の品質に勝るものはつくられていないと言われています。

かくして明治以降も陸軍、海軍を中心に需要は伸び戦後は大衆向けの靴、鞄、ベルトなどに移行しながら現在に至っています。

日本の皮革産業の中心地、高木

※参考資料
『生きてきた証』(花田小学校著)
『聴き取り』 (花田小学校著)